学院から今日までの歩み — 洗心の歴史(第2回)今年は、洗心仏教会が独立寺院となってから75周年を迎える年です。これを記念して、5月24日と 5月31日に記念法要および行事を予定しています。
5月24日には、先亡者追悼法要とエンターテインメント、5月31日には、75周年記念法要と祝賀会を行います。
これらの大切な行事を前に、先月に引き続き、お寺の歴史を振り返ってみましょう。以下にある年表は、1974年発行の『BCA 創立75 周年記念誌』を要約したものです。この記念誌には、各お寺の歴史が記されていて、洗心の歴史は、実藤協さん、西坂芳雄さん、中渡瀬秀義さん、実藤司さんらによってまとめられたものです。今回の年表は、第二次世界大戦後から1974年までの出来事を記しています。
戦後の特筆すべき出来事の一つは、収容所からLAの西南地区に戻ってきた人たちが住まいを見つけるまでの間、寺院を一時宿泊所(ホステル)として提供したことです。この時期の詳細な記録は多く残っていませんが、LA別院のゴールドウォーター師に加え、後にハワイ本派本願寺派の総長となられた今村寛猛師ご夫妻、竹本アーサー師、徳永京四郎師らがホステルの運営にあたりました。徳永師は当初、洗心学院(日本語学校)の教師および日曜学校の補佐を務め、その後僧侶となり、サンノゼ別院に勤められました。
洗心は 1951 年5月1日に別院の承認を得て独立寺院となりました。
1955 年に当時本堂として使用していた現在のソーシャルホールに新しいお仏壇や荘厳具を安置しました。(Remove this part, 2019年の70周年の記念事業としてそれらのお仏壇や荘厳具をリファービッシュしました。)1966 年には、海野円了師、徹雄師が親子で駐在されていた時に現在の本堂が建立されました。
1968 年に小谷政雄師が着任され、寺史には次のように記されています。
「小谷師は、形式や儀礼の面でキリスト教の模倣となるのではなく、若者にとってより意味ある浄土真宗を目指し、読経・瞑想・雅楽など、仏教に根ざした文化活動を重視するプログラムを開始した。」
洗心のサービスで、読経の時間がやや長い理由の一つはここにあります。けれどもマス先生の45年以上にわたるご指導のおかげで、多くの方は楽しんで、お経をとなえていて、お寺の素晴らしい伝統になっていると思います。
1960 年代後半から 70年代初めにかけて、多くの方々がLAの郊外へ移り住みました。けれども、メンバーの方々は、洗心を心のふるさとと感じ続け、お寺にお参りし、支え続けてくださいました。それから 50年以上が経った今も、その支え合いの精神は受け継がれています。まことにありがたいことです。
寺史には次のように記されています。
「過去数十年の間に、西南地区では日系人口の郊外(東西およびオレンジ郡方面)への転居が進んだ。その結果、若年層の数は減少したが、寺院の会員数は比較的安定している。これは、転居した多くの家族が依然として洗心を自らの寺と考え、大切だと感じ、お寺のさまざまな活動に参加している。」
年代順年表(戦後〜1970年代初頭)
1945年 — 戦後再開
1945年8月11日
・日系人の西海岸帰還が許可される。
・ゴールドウォーター師、洗心学院を帰還家族のための一時宿泊所に転用することを要請。
1945年後半〜1949年
・桑月師が一時的に洗心を担当するも、人手不足によりロサンゼルス別院へ戻る。
・徳永京四郎師がホステル運営および日曜学校を担当。
・日本語学校再開、個別指導も実施。・ホステル終了後、生徒数が着実に増加。
・増加に伴い、教職員の追加が急務となる。
独立寺院となる
1951年5月1日
・別院の承認を得て正式に独立寺院となる。
・桑月文方師が初代開教使に就任。
・西南地区の日系人口増加が独立を後押し
・玉那覇晃洋師(52年から52年)と杉形卓浄師(54年から55年)が駐在。
発展と拡充
1955年3月
・ボーイスカウト第 636 団をスポンサーし、青少年育成を支援。
1955年5月
・新らしい御仏壇を安置。
1956年3月
・特別総会にて長期二部計画を採択:
1. 英語話者門徒へのプログラム強化
2. 護持会員制度による施設拡張
1956–1957年
・寺院東側3区画を購入。
1957年9月
・海野大徹師が英語・青少年担当として着任。
開教使交代と生徒増加
1958年9月
・桑月師、約20年の奉職を経て岐阜のご実家の寺院を継ぐため帰国。
・木村義文師を主任開教使として迎える。
・南側2区画購入、住宅を仮教室として活用。
・日曜学校生徒数約450名に達する。
再編成
1960年7月
・非営利宗教法人「洗心仏教会」として再法人化。
・連邦税免除申請。
1960年8月
・木村師、フレズノ別院へ輪番として異動となる。
・海野円了師が主任開教使として着任。
1962年4月
・海野大徹師、学業継続のため辞任。
1962年後半
・海野徹雄師が着任し、英語
・青少年活動を継続。
新寺院複合施設
1963>年9月21日
・特別総会にて25万ドル規模の宗教教育複合施設および開教使用住宅建設の5か年計画を採択。
・追加区画購入、合計10区画に拡張。
1965年3月10日
・起工式(約名参列)。
1966年5月1日
・新寺院複合施設落慶。
・新本堂、外陣に300席と100席分のクライングルーム、納骨堂
・7つの教室を持つ教育棟
・75台分の駐車場
1960年代半ばまでに:
・日曜学校生徒数が約500名
・日本語学校生徒数が約150名
・約300家族が所属
1960年代後半の開教使
1968年8月
・海野徹雄師、進学のため辞任。
・小谷政雄師が着任。
1970<年8月
・海野円了師、10年の奉職を経て退任。
1970年11月
・藤門芳信師が主任開教使として着任。
独立20周年
1971年8月8>日
・独立20周年記念法要。
・寺院複合施設完済を記念するローン焼却式。
・25万ドルの財団(基金)設立。
・歴代開教使および80歳以上の一世27名を顕彰。
1970年代初頭
・一世から二世への世代交代。
・財団設立により財政基盤強化。
・英語法要・青少年活動拡充。
・月例ファミリー法要開始。
・元旦・花まつり・お盆で日英合同法要実施。
・初盆法要とお盆踊りで、千灯荘厳を開始。
