藤門先生のこと

 

藤門芳信先生は、今から32年前の1991年(平成3年)3月30日、80歳でお亡くなりになり、往生の素懐をとげられました。先生は1970年から1988年まで18年間、洗心の開教使を務めて下さいました。多くの門信徒が藤門先生から念仏の教えを学び、その先生からのご教化が、現在の洗心の雰囲気や文化に影響をしています。今年は藤門先生の33回忌の年なので、先生を偲び、先生から学んだことを思い出してみましょう。

藤門先生は明治43年(1910)に長崎県のお寺にお生まれになりました。1935年3月、京都の龍谷大学を卒業後、同年6月に開教使としてロサンゼルス別院に来られました。ロサンゼルス別院でオリエンテーションなどを終えたのち、1936年にサリナス仏教寺院に赴任され6年間駐在されていましたが、1942年に日米間で戦争が始まり、戦時中はルイジアナ州のキャンプ・リビングストン、ニューメキシコ州のサンタフェ、テキサス州のクリスタルシティなど、宗教者や地域社会の指導者が収監された収容所で過ごされました。1945年に戦争が終わると、ニュージャージー州のシーブルック仏教会の前身となる仏教徒のグループに布教をされ、1947年、西海岸に戻り、サンフランシスコ(1947年)、メリスビル(1948年)、パロアルト(1955年)、ストックトン(1959年)、ロサンゼルス別院(1961年)、アリゾナ(1965年)の仏教会に駐在されました。

そして1970年に藤門先生が洗心に来られました。当時、お寺のメンバーの多くは西南地区と呼ばれるお寺の近辺に住んでおられ、ダルマスクールに通う子どもたちは500名を超え、一世と二世の日本語を話す門信徒の方も多くおられました。それで、洗心には日本語と英語が母語の方々それぞれに布教できるよう、二名の先生がおられました。藤門先生が来られる前は、海野円了先生と小谷先生がおられました。小谷先生が洗心に来られたのは1968年で、昭和45年(1970年)に円了先生が引退され、藤門先生がヘッドミニスターとして洗心に赴任されました。マス先生は主に英語を話すメンバーを担当し、藤門先生は主に日本語を話すメンバーを担当されていたのですが、マス先生によると、藤門先生は法話をされているときに熱中されると長崎弁が強くなり、日本の人でも何を言っているのかわからないことがあったと言います、けれども、言葉を超えた思いによって、仏さまの救いのことはよく伝わっていて、聞く人皆が喜ばれたといわれます。

あるお寺の方は「先生が教えてくれたことで覚えているのは、お念珠についてです。先生は、高いお念珠を買えというのです。安物じゃなくてね。そのおかげで、お念珠を大切に扱うことを学べました。」とおっしゃっていました。高いお念珠だと、大切に扱い、お念珠を大切にすれば、おのずと仏・法・僧も大切にしていくということです。

藤門先生はヘッドミニスターでしたが、そういう立場が嫌で、洗心に来て何年かしてから、マス先生にヘッドミニスターを代わってもらったそうです。それで、マス先生が開教使会議やお寺のオーガニゼーションの会議に出席されるようになりました。藤門先生はマス先生に「ああいう面倒くさい立場から解放されるのは素晴らしいことだ。がんばってね。マス先生」と冗談まじりに言われたそうです。

藤門先生は1988年に引退され、ガーデナ地区にお住まいになりました。3年間、リタイア生活をエンジョイされたのち、 1991年3月30日に亡くなり、往生されました。

本堂に入って正面を見ると、お内陣の上部の壁に、額装された三文字の書が掲げられています。 それは「畢竟依(ひっきょうえ)」と読み、究極のよりどころ、避難所、たよりになるところ、という意味で、阿弥陀仏、お浄土または仏法を意味します。 この書は大谷光照門主(第23代)によるものです。

マス先生によると、この書は1970年代か80年代ころに藤門先生が日本から持ってこられたそうです。 先生が京都に行かれた際に、ご門主に会いに行き、その時、「洗心寺に掲げるために何か書いてほしい」と頼まれたそうです。ご門主はそのリクエストを受け入れてくださり、 この「畢竟依」をしたためてくださったのです。 藤門先生がご門主とどのようなご縁があったのかはわかりませんが、おかげで、私たちの本堂に由緒ある書が掲げられてあるのです。

「畢竟依」の語は親鸞聖人の和讃に出てきます。

「清浄光明はかりなし 遇斯光のゆえなれば 一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ」

畢竟依は英語だと、究極の避難所、究極のよりどころ、と訳されます。 「畢竟」は「結局のところ」「最後には」という意味で、「依」は「頼りになるもの、ところ」という意味です。「今まで、いろいろなよりどころを持ったけど、ついに、阿弥陀さま、そして仏法という本当のよりどころに出遭えることができた」という意味が込められています。

親鸞聖人は阿弥陀さまを畢竟依と尊敬され、そして阿弥陀さまの救いのことを聞かせていただくお寺は究極の拠り所です。藤門先生は32年前にお亡くなりになりましたが、私たちや私たちの念仏の先輩に教えてくださったことはまだ影響を与え続け、そして阿弥陀さまや念仏、教え、お寺は私たちの畢竟依だということを教えてくださっています。

南無阿弥陀仏