妙好人善太郎

「妙好人」とは、浄土真宗の篤信者のことをいい、親鸞聖人はそういった念仏者を、俗世間に咲く美しい白蓮華のようだと讃えられています。

「正信偈」には 

「善人も悪人も、 どのような凡夫であっても、 阿弥陀仏の本願を信じれば、 仏はこの人をすぐれた智慧を得たものであるとたたえ、 汚れのない白い蓮の花のような人とおほめになる。」 

阿弥陀如来の願力をいただいてお念仏を称えるようになった人は、この濁った苦しみの世界に咲く美しい蓮の花のようだと言われるのです。ですから念仏を称える人は、善人でも悪人でも誰でも妙好人だということですが、中には変わった行動によって、他人に影響を与え、私たちに念仏の教えを説いたり、私たちがどうあるべきかを考えさせる妙好人がいます。このような妙好人の話は、昔から人から人へと教えられてきました。

今から150年ほど前、日本の島根県に善太郎という名の妙好人がいました。彼は若い頃、あまり立派な人ではなく、勝気で乱暴者で村の人たちに嫌われていたそうです。善太郎さんは結婚して4人の子供をもうけましたが、4人とも若くして亡くなってしまいました。善太郎さんは世の無常を深く理解し、家族との悲しい別れが相次いだことがきっかけとなり、お寺にお参りしてお念仏の教えを聞くようになりました。その時、40代になっていた善太郎さんは、 熱心に法を聞き、信心をいただき、自分の気づくまえから阿弥陀仏の大いなる智慧と慈悲をいただいていたことに目覚められました。そして、ご信心をいただいてからは人がかわったように、温厚で思いやりのある人になったといいます。

善太郎さんが他人から濡れ衣を着せられたことがあるという話があります。それは、善太郎さんが友人の家に一泊したときのことです。善太郎さんが帰った後、友人は高価な着物をなくしたことに気づきました。家のお手伝いさんに聞いてみると、「善太郎さんが持っていった 」とのこと。頭にきた友人は、善太郎さんの家に行き、さんざん罵ったそうです。善太郎さんは何も言わず、怒っている友人を優しい顔で見つめていました。そして、「申し訳ない、あなたの着物を盗みました。今、妻がここにいないので、その着物がどこにあるのかわかりません。弁償します。」と答えました。そして、その友人にお金を渡し、「大変申し訳ありません。お詫びのしるしに、このお餅をあなたの家に持って行ってください」と言いました。怒った友人はその餅を受け取って家に帰りました。家に帰っても善太郎に悪態をつき続け、家族に「善太郎が着物を盗んだことを認めた」と話しました。するとお手伝いさんが泣き出して、「ごめんなさい。私がやりました。着物を盗んでしまったのは私です。」主人は それを聞いてすぐに善太郎さんのところへ戻り、謝りに行きました。善太郎は、いつものように優しく微笑み、友人をとがめることはなかったそうです。

この話は、念仏者が不当に非難された場合の、どのように対処したらよいかを教えてくれるひとつの例です。濡れ衣を着せられても、だまって、言い訳をしない。そして本当の犯人の代わりに謝罪し、弁償までする、というものです。それによって、本当の犯人に反省を促すことになったのです。

けれどもこの妙好人善太郎の例は、交通事故などで自分に非があっても他人に「ごめんなさい」と言ってはいけないと教育されるこの国では通用しないかもしれません。

もし、善太郎さんが事故にあって、相手に100パーセント非があるのに、その相手が善太郎さんに非があると訴えたとしましょう。その場合、善太郎さんはおそらく相手に謝罪し、事故の費用を負担するでしょう。しかし、この21世紀のロサンゼルスでは、善太郎さんの車にぶつけた人は、自分の悪い行いを反省しないかもしれませんね。 

現代のアメリカに住む私たちは、善太郎さんのようにするのは難しいけれども、浄土真宗の仏教徒の中には、とても寛大で、自分は悪くないのに謝る人がいる(いた)ことを知っておきましょう。

南無阿弥陀仏