十八願と土徳

今年のサンデーサービスが9月10日から始まりました。今年のサービスでは阿弥陀仏の十八願を学んでいきたいと思います。十八願は英語ではPrimal Vow, Original Vow, Essential Vow などの訳語があります。日本語では、阿弥陀さまの「全ての衆生を救いたい」という根本の願い、ということで本願と呼ばれています。本願は浄土真宗の教えの中心なので、私たちの本山は「本願寺」という名前になっています。浄土真宗の門徒として、私たちは本願の内容やその意味を知らなければなりません。本願のエッセンスは「すべての人々の平和と安心」だと言えます。そして、私たちが本願を学び、そのエッセンスをいただくことで、安心して人生を送ることができ、また他人の安心も考えることができるようになっています。

第十八願のご文は、

「わたしが仏になるとき、 すべての人々が心から信じて、 わたしの国に生れたいと願い、 わずか十回でも念仏して、 もし生れることができないようなら、 わたしは決してさとりを開きません。 ただし、五逆の罪を犯したり、 仏の教えを謗るものだけは除かれます。(現代語訳)」

とあります。今年のサービスでは主に本願のご文の意味を学んでいきますので、このシーズンが終わる来年の7月末までには皆さんは、本願を日本語と英語で暗唱できるようになっていることでしょう。でも7月の最後の日曜日に本願の暗唱テストはありませんから心配しないでサービスにお参りしてください。

この第十八願を理解するためには、目に見えないものへのリスペクトをもち、目に見えないものが私たちの人生において非常に重要な役割を果たしていることに注意を払う必要があります。

浄土真宗では、阿弥陀仏、浄土、仏の慈悲と智慧など、目に見えないものの話をよく聞きます。それらは目に見えないけれども、私たちに働きかけ、お寺にはそのおはたらきを受けている念仏者がおられます。

また、宗教的な目に見えない存在だけでなく、私たちの日常生活においても、目に見えないものが重要な役割を果たしています。友情、親族関係、愛、信頼、正直さ、勇気などは目に見えませんが、私たちはそれらは大切なもので、それらを得たいと思っています。

また、苦しみの原因も目に見えませんし、苦しみそのものも見えません。しかし、私たちはそれらによって苦しめられ、苦悩します。仏の慈悲と智慧もまた目に見えませんが、教えを聞くことによって、耳を通して、阿弥陀さまの智慧と慈悲が私たちの心に入ってきて、私たちの苦しみを癒し、安心を与えてくれるのです。

民藝運動の創始者として知られる思想家・美術評論家の柳宗悦さん(1889-1961)は、目に見えない力を深く感じ取られていました。柳さんは念仏の教えに影響を受け、浄土真宗に関する著作もあり、北陸地方に滞在した時に「土徳」という言葉を造ったと言われています。柳さんは、北陸の風土から念仏の徳が感じられることに強い印象を受けました。北陸には昔から熱心な浄土真宗の信者が多いため、お念仏や報恩や感謝が生活の一部、またはそのものとなっており、その何世代にもわたって培われてきた「土徳」が、目に見えない力として、人々の心を育んでいるのです。

今年のサンデーサービスでは、十八願を学ぶ中で、目に見えないものの大切さも学んでいきましょう。そして、私たちのお寺やコミュニティに平和と安心を多くの人とシェアできるような「土徳」ができてくるとよいと思います。