猫年と他力

古本竜太

 

今年は寅年ですが、猫好きな人の中には今年は猫年だと考える人もいます。

猫はペットとして犬と同様、人間と親しい動物ですが、なぜか干支の動物には選ばれていません。けれども、虎はネコ科なので、寅年は猫年も兼ねる、ということだそうです。

けれども、本当に猫年がある国もあります。タイ、チベット、ベトナム、そしてブルガリアとベラルーシには猫年があるのです。それらの国では、うさぎ年を猫年にしていますが、ブルガリアは寅年を猫年にしています。ですから、今年は猫年でもあるのです。猫好きな人たちはよかったですね。

浄土真宗には、他力本願や信心を教えるのに、有名な猫の例えがあります。蓮如上人は『聖人一流の章』の中で、次のように述べています。

親鸞聖人は、浄土真宗の教えの中心は「信心」であると説かれました。それは、他の一切の修行を捨てて、阿弥陀仏に完全におまかせすると、不可思議の本願力によって、私たちの往生が決定するということです。(筆者意訳)

浄土真宗の教えを他力の教えといい、「他力」とは阿弥陀仏の本願力のことです。浄土に往生するにあたって、私たちの自力での努力は、どうしてもエゴの力になりがちで、また修行を完遂させることは大変難しいのです。そのため、阿弥陀如来は、浄土への往生を約束する誓願をたててくださいました。私たちは、阿弥陀仏におまかせして、本願に誓われてあるとおりに念仏を称えればよいのです。それが「他力」ということです。

この阿弥陀仏におまかせする、「他力」ということを、猫の母親と赤ん坊の関係に例えて説明されます。みなさんは、母猫が赤ん坊をどのように運ぶか見たことがありますでしょうか?猫の母親は赤ん坊の首を噛んで運ぶのです。子猫はなすすべもなく、母猫に目的地まで運ばれるだけです。運ばれるために努力することはありません。ただ、お母さんにおまかせするだけです。母猫は阿弥陀如来にたとえられ、私たち衆生は子猫にたとえられます。子猫のように、自力を放棄して阿弥陀仏にすべてをゆだねるだけで、阿弥陀仏によって浄土へ運ばれて行くのです。これが他力本願です。

一方、自力の例えもあります。それは母猿とその赤ちゃんの関係です。母猿は赤ん坊を背中に乗せて運ぶのですが、子猫と違って、子ザルは母親の背中をつかもうと努力する必要があるのです。これは自分の力に頼る「自力」であって、浄土真宗の「他力」の方法ではありません。

他力の方法では、自力の心を捨て、阿弥陀仏をつかまえようとすることをあきらめたとき、実は子猫のように阿弥陀仏にとらえられていたのだ、ということがわかるのです。

猫年の今年は、私たちは他力をいただいていることを思い、阿弥陀仏に感謝してお念仏をとなえましょう。

 

南無阿弥陀仏