過去に学び、未来へつなぐ―洗心の歩み:学院から今日まで(第一回)
今年は、洗心仏教会が独立寺院となってから75周年を迎える年です。これを記念して、
5月24日と5月31日に記念法要および行事を予定しています。
5月24日には、先亡者追悼法要とエンターテインメント、
5月31日には、75周年記念法要と祝賀会を行います。
これらの大切な行事を迎えるにあたり、あらためて洗心の歩みと歴史を振り返ってみたいと思います。
洗心の歴史については、1974年に発行されたBCA75周年の記念誌、2001年に発行された洗心50周年記念誌、そしてメンバーが作成した簡単な歴史年表など、いくつかの資料が残されています。
これらの記録によると、洗心仏教会は1928年にロサンゼルス本派本願寺仏教会(現在のロサンゼルス別院)のブランチとして活動を始め、日本語学校と仏教の日曜学校である「洗心学院」としてスタートしました。1951年に別院から分かれて、一つの寺院となったので、今年が独立してから、75周年ということになります。
洗心は現在、98年の歴史があります。今回は、洗心が始まった1928年から、第二次世界大戦中の1944年までの歩みを、年代順にご紹介していきます。
年代別年表:学院期から戦時期
- 1928年
ロサンゼルス本派本願寺仏教会(現ロサンゼルス別院)の 大野柔忍師夫妻により、ロサンゼルス市ウエスト36番地1239番に洗心学院が設立される。
日本語教育および日曜学校を通して、親鸞聖人の教えを子どもたちに伝えることを目的とした。 - 1920年代後半~1930年代初頭
南西ロサンゼルス(西南地区)は日系人口が多いにもかかわらず仏教寺院がなく、洗心学院は着実に成長。入学者増加に伴い、教員が2名増員される。 - 1930年代初頭
大野師は日本の自坊の事情により帰国。しかし洗心の将来につながる確かな基礎 を残した。 - 1932年6月
洗心学院の運営責任者(院長)は浄土真宗僧侶が務めるという了解のもと、
ロサンゼルス別院の 桑原ヒロフミ師 が第2代院長として迎えられる。 - 1930年代前半~中頃
デンバー大学卒業生の 徳永良吉氏・徳永京四郎氏 が教職員として加わる。
良吉氏が日本に行くため、その後任として 桑月文方師 が着任。 - 1937年夏
世界恐慌のさなかであったが、児童・生徒数の増加により施設拡充の必要性が高 まり、理事会総会にて新校舎建設計画が承認される。 - 1937年
和田イワオ氏、実藤協氏が建設委員長・副委員長に就任。
建築士 ハヤノ・ミエキ氏 により、講堂(舞台・楽屋付き)、教室、事務室、台所、化粧室を備えた設計が進められる。 - 1938年3月
ウエスト36番地1336番に新校舎が完成・落成。
建設費は 14,500ドル。その後、講堂に仏具が整えられ、入仏法要が勤修される。
この建物は改修を経て、現在も寺院施設の一部として使用されている。 - 1938年
洗心学院は カリフォルニア州の非営利法人 として正式に法人化される。
同年、桑原師が帰国のため退任し、桑月文方師が院長に就任。 - 太平洋戦争開戦直前
桑月師は帰国のため辞任し、後任として大野静哲師が着任。桑月師は情勢悪化により最終的にアリゾナ仏教会へ転任となる。 - 1941年12月7日
真珠湾攻撃により日米開戦。緊急会合が開かれ、洗心学院の継続について協議が行われる。戦時下の法的制限により、敵性外国人とされた 一世は組織運営・財務管理に関わることが困難となったため、一世理事会は解散され、二世による法人理事会に運営が委ねられた。実藤協氏は一世・二世間の顧問および連絡役を務める。
- 1941年末~1942年初頭
大野静哲師、徳永京四郎氏、井上キクジ氏、および理事数名が FBIにより拘束され、カリフォルニア州タハンガの民間人収容施設に送られる。一部は後に釈放され、サンタアニタ仮収容所で家族と合流。 - 1942年5月1日
洗心関係者の多くがサンタアニタ仮収容所に集合後、コロラド州アマチ(グラナダ移住センター)へ強制移送される。 - 1942年~1945年
出発に際し、YBA(青年仏教会が寺院内外を整理・封鎖。寺院の管理はロサンゼルス別院の白人僧侶である ジュリアス・A・ゴールドウォーター師に託される。
戦前に寺院のローンが完済されていたことにより、会員は経済的な不安なく退去することができた。 - 1944年夏
ゴールドウォーター師より、再会した洗心関係者に向けて約2年半にわたる管理報告がなされ、洗心が戦時中も守られていたことが伝えられた。
