エルビスと七宝の牢獄


日本では、お盆休みは8月13日から16日で、多くの人々が故郷に帰り、ご先祖さまを偲び、感謝の気持ちを表す時期です。8月16日には故郷から自分の家に帰り、仕事や学校に戻るための心の準備をします。

一方、アメリカでは8月16日は音楽ファンにとっては特別な日です。「ロックンロールの王様」エルビス・プレスリーの命日で、1977年に42歳で亡くなりました。ファンの方々は、エルビスに敬意を表し、彼の曲を聴くことでしょう。

多くの人から支持され、豪華な生活を送っていたエルビスですが、晩年は強い閉塞感を抱えていたといわれます。1969年から1976年の間、彼はラスベガスのインターナショナルホテルで、主に8月と12月に1日2回のディナーショーを行っていました。合計600回以上の公演はすべて満席でした。豪華なスイートルームに滞在し、上層階からの眺めや豪奢な調度品、必要なものはすべて揃っていたそうです。

しかし、関係者の話によると、彼はその環境を、囚われているような生活だと感じていたといいます。本当は世界中をツアーで回りたかったのに、マネージャーの方針でアメリカ国外に出ることができませんでした。どんなに贅沢な部屋であっても、自由がなければ、それはやはり閉ざされた空間だったのです。

この話を聞いて思い出したのが、親鸞聖人の和讃です:

(65)「方便の浄土にとどまるのは、転輪聖王の王子が罪を犯して王から罰せられ、 黄金の鎖でつながれて牢獄に閉じこめられるようなものである。」

(66)「自力の心で念仏する人は、 みな阿弥陀仏の本願を信じず、 疑う罪が深いので、 金、銀、瑠璃(るり)、水晶、珊瑚、瑪瑙(めのう)、硨磲(しゃこ)などの七つの宝でできた牢獄に閉じこめられる。」

(『正像末和讃』、現代語訳)

この和讃は、浄土と疑いの心について述べています。阿弥陀さまの本願を疑う者も、浄土に生まれることできるのですが、その中心ではなく、「辺地(へんち)」や「胎宮(たいぐう)」と呼ばれる場所に生まれると説かれています。そこは七つの宝でできた美しい場所ではありますが、本当の意味での自由と安らぎは得られない、とされています。

「辺地」とは涅槃の中心から離れた場所という意味で、仏さまの教えの本質を十分に感じることができない状態を指します。「胎宮」とは、まるで母親の胎内のように心地よく安心できる場所ですが、そこに留まっていては自由に生きることができません。最終的にはそこから出て、自由に歩み出すべきだということを表現しています。

ある先生は、このことをお寺にたとえて、「お寺の建物にはいても、法要に参加せず、キッチンやオフィス、ソーシャルホールにいる人たちがいます。お寺にいながら、実は法(ダルマ)の中心から離れているのです。これは、七宝の宮殿にいて、本当の浄土を見ていないような状態です。」と説明されていました。

浄土真宗では、阿弥陀さまにおまかせする「他力の信心」は、仏法を「聞くこと(聞法)」から始まります。親鸞聖人は、「疑いなく聞くことが信心だ」とお示しくださっています。疑いとは、自分のエゴの力に頼ることです。

親鸞聖人の和讃は、『大無量寿経』の一節をもとにしています。その箇所には、転輪聖王の七宝の宮殿のことが書かれています。

「転輪聖王という、七宝でできた宮殿を持つ王がいた。若い王子たちが過ちを犯した時、その宮殿に閉じ込められるます。食事も音楽も寝具も揃い、苦しみはないが、彼らはそこから出たいと願う。同じように、仏の智慧を疑う者はそのような宮殿に生まれる。苦しみはないが、五百年間、仏・法・僧の三宝を見ることができず、そのため心からの喜びを得ることはできない。」

私たちは、三宝(仏・法・僧)と出遇っていることの尊さを、つい忘れてしまいがちなので、大無量寿経で、お釈迦さまはそれがどれほど貴重な縁であるかを教えてくださっているのです。

親鸞聖人の導きによって、私たちは阿弥陀さまにおまかせし、南無阿弥陀仏と称えて、真実の浄土へと向かう道を歩みます。それは、辺地や胎宮や七宝の宮殿ではなく、本当の自由と目覚めに満ちた世界への歩みです。