親ごころ――母の日、阿弥陀さまの願い

月の第二日曜日は母の日です。母親、または母親の役割をしてくださっている方から受けたご恩を思い出し、感謝の気持ちを表します。

浄土真宗では、阿弥陀さまの心は「親ごころ」と呼ばれることがあります。子どもが幸せで、安心して平和に生きてほしい。そんな願いを持つのが親の心です。そして阿弥陀さまは、すべてのいのちの安穏を願ってくださっているので、そのお心を「親ごころ」とたたえるのです。

親鸞聖人は『浄土和讃』の中で、「あらゆるものを、ひとり子のごとくに思う」のが阿弥陀さまの慈悲で、念仏を称える私たちが「子が母を思うように阿弥陀さまを思うとき」、そのお心に包まれて、必ず浄土に生まれさせていただく道が開かれ、今この世を平和に、安心して、優しさと共に生きることができる、と示唆してくださっています。

芥川龍之介の『杜子春(とししゅん)』という中国の昔話を題材にしたお話は、「親ごころ」と親子の絆がポイントになっているお話です。

杜子春という若者は、かつては裕福な暮らしをしていましたが、財産を失ってしまいます。ある日、不思議な老人に出会い、宝を見つけてまた裕福になりますが、それもまた失います。何度も同じことを繰り返した後、彼は老人に弟子入りを願い出ます。老人の正体は、実は仙人でした。

仙人になるための修行は、何があっても一言もしゃべらないというものでした。山の中で、虎や大蛇に襲われ、雷に打たれ、剣士に斬られるといった恐ろしい試練を受けても、杜子春は沈黙を守り続けました。地獄に落ちてもなお、声を発しませんでした。

ところが、地獄の鬼たちが馬に姿を変えた両親を連れてきて、むちで打ち始めます。杜子春はそれでも黙ったままでしたが、痛めつけられ息も切れ切れになった母親が「私たちのことは気にしないで。あなたが幸せになれるのなら、それでいいのよ。」と言ったとき、彼は思わず「お母さん!」と叫んで母に駆け寄りました。

その瞬間、仙術が解け、彼はふと気がつくと故郷の近くにいました。仙人は「仙人なんてならなくていい。お母さんを思うその人間らしい心を持つことが大切なのだ」とのことを伝えた、というお話です。

芥川龍之介は物語の結末を変えたと言われています。元の中国の話では、仙人は試練に失敗した杜子春を叱っているそうです。仙人になるには、世俗の価値観や、家族や友人とのつながりを断つ必要があります。

しかし、芥川の書いた話では、仙人は杜子春に「もしあの時お母さんを助けようとして叫ばなかったら、お前を殺していた。」と言っています。

芥川は、母親への恩を忘れないことが人間らしく、意味のあることだと思ったのかもしれません。仏教の中にも、世俗とのつながりを断ち切ってこそ涅槃に至るという教えもあります。しかし、浄土真宗では、日常生活を捨てる仏道ではなく、日々の世俗の生活の中で、阿弥陀仏の「親ごころ」に目覚め、涅槃に至る道を歩むという教えです。

私たちは、母親から「親ごころ」を受け取ります。その心から、思いやりや優しさ、慈しみを学びます。その経験を通して、阿弥陀さまの大いなる慈悲と願いがどのようなものであるかを知るご縁となるのではないでしょうか。

母の日には母親に感謝を表しましょう。また阿弥陀さまに感謝し、念仏を称えましょう。

南無阿弥陀仏