冬に出会う物語と仏さまのこころ
12月は、車のラジオやお店、学校などから、さまざまなクリスマスソングが聞こえてきます。その中には「ミスルトー(mistletoe)」という言葉が歌われている曲がいくつもあります。たとえば、ブレンダ・リーの「Rockin’ Around the Christmas Tree」、ジャクソン・ファイブの「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」、そしてマライア・キャリーの「All I Want for Christmas Is You」などです。
実は私は長い間、ミスルトーが何であるのか知りませんでした。クリスマスツリーの飾りの一つだと思っていたのですが、数年前にミスルトーの日本語訳はヤドリギで、植物の一種であることを知りました。
ヤドリギは興味深い植物です。“mistletoe”という言葉は、サクソン語の mistl-tan(「異なる枝」)に由来するともいわれています。宿主の木が葉を落としても緑を保ち、冬に実をつけるため、生命力の象徴とされてきました。西洋では、クリスマスの飾りのミスルトーの下を通るカップルはキスをする、という風習があります。
なぜヤドリギの下でキスをするのでしょうか?その由来を説明する説の一つとして、北欧神話の物語があります。キリスト教が伝わる以前、北欧では自然を尊ぶ多神教が広く信仰されていました。
ある伝承によれば、女神フリッグは光の神バルドルの母で、誰よりも息子を愛していました。息子を守るため、宇宙のあらゆる存在に「息子に危害を加えないように」と誓わせます。しかし、フリッグはヤドリギだけを見落としてしまいました。ヤドリギが木に寄生する植物であり、独立した存在として気づかなかったからです。ある時、バルドルが無敵であることを妬んでいた神が、ヤドリギのことを知ります。そこでその神はヤドリギで矢をつくり、バルドルを射て殺してしまったのです。母フリッグは息子の死をかなしみ、その涙がヤドリギの上に落ちて白い実となりました。フリッグは「これからはヤドリギを愛と平和の象徴とし、二度と害を及ぼさないものとする」と誓い、以来、ヤドリギの下では敵同士であっても武器を置き、平和のキスを交わすようになった、と伝えられます。
北欧神話と仏教はまったく異なる伝統ですが、このフリッグがヤドリギにかけた「争いを止め、平和と和合をもたらす」という願いを聞くと、私は阿弥陀さまの第十八願、本願を思い起こします。
「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません、、、(大無量寿経)」
阿弥陀さまの本願は、迷いや煩悩をかかえたままの私たちを、平和と慈悲のはたらきによって包み、導こうとする大いなる願いです。この願いに照らされるとき、私たちの心は、平和で穏やかになっていきます。仏様の願いをいただいている私たちはキスはしませんが、合掌し、お念仏をします。
また、北欧神話のフリッグは、最初、自分の息子だけの幸せを願っていたのですが、その「自分の」というエゴの思いを改めて、すべての人々の平和を願った、というところが、お盆の由来のお話にも似ているようにも思えます。目連尊者が、餓鬼道で苦しむ母を救うため、最初は、自分の母にだけ食べ物を送っていたエゴの行為を改めて、他人に食べ物や衣服を布施をした、ということで母も救われていった、というお話です。そういった神話や阿弥陀さまの本願を聞かせていただくと、自分のエゴを反省し、人々の幸せを思う、ということがあるべき道だと示してくださっているように思えます。
この季節、ミスルトーの飾りを見かけたら、北欧神話のヤドリギは平和の象徴となったということや、すべての人の平和と安全を願う阿弥陀さまの本願を思い出し、互いに敬い助け合い、感謝の心を持って過ごしてまいりましょう。
南無阿弥陀仏
