てりむくり

 

6月に本堂の外側の壁の塗り替えや修繕などを行いました。新しい白いペンキが塗られ、お寺全体が明るい感じになりました。 本堂の入り口の屋根やドアなどにもペンキを塗ったのでとても綺麗になりました。

本堂の入り口の屋根はユニークな形をしています。「てりむくり」と言って、 2つの正反対の形を組み合わせたものです。内側に湾曲している「てり」または「そり」と、外側に湾曲している「むくり」です。 その二つが合わさって、「てりむくり」と呼ばれます。波のようにゆるやかに上下にカーブしている形で、寺社の入口や門の屋根によく使われています。 建築の専門家によれば、「てりむくり」は日本オリジナルのデザインだそうです。そして仏教の「相反するものが共存している」という思想の影響を受けていると考える人もいます。

「どうして相反するものが一緒に存在できるのか?」「生と死が同時に成り立つはずがない。矛盾している。」と思われる方も少なからずおられますが、仏教を学ぶと、真実というものは矛盾的に聞こえるような表現方法を取ると考えたり、私たちの存在そのものが矛盾的であると気づいたりするようになっています。

私たちの存在は矛盾しています。私たちは生きている、と言いますが、同時に死んでもいます。なぜなら、1日生きるということは、1日死が近づいているということだからです。この観点から見れば、私たちは生きていると同時に死んでいっているのです。

善と悪、老いと若さ、富める者と貧しい者、平和と戦争など、相反するものはどれも共に存在をしていて、片一方だけでは存在できないようになっています。

浄土真宗での矛盾的表現の代表格は「二種深信」です。善導大師(7世紀)が書かれたもので、親鸞聖人が教行信証の信巻に引用されています。

「深心というのは、すなわち深く信じる心である。 これにまた二種がある。 一つには、 わが身は今このように罪深い迷いの凡夫であり、 はかり知れない昔からいつも迷い続けて、 これから後も迷いの世界を離れる手がかりがないと、 ゆるぎなく深く信じる。 二つには、 阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂め取ってお救いくださると、 疑いなくためらうことなく、 阿弥陀仏の願力におまかせして、 間違いなく往生すると、 ゆるぎなく深く信じる。(現代語訳)」

というご文です。善導大師は、阿弥陀仏におまかせしたなら、どのような思いや信念が出てくるのか、という一例をお示しくださっています。

それは簡単に言えば、「浄土に行かれないから、浄土に行くことができる」という思いで、昔のお同行は、「地獄行きが浄土行き」だと言われました。矛盾しているように聞こえますが、この意味は、煩悩の毒をまきちらして生きる自分は、自分の力でお浄土に生まれることはできないので、阿弥陀さまの他力によってお浄土に生まれることができる、ということです。

凡夫と阿弥陀仏、煩悩と涅槃、地獄と浄土は共存しており、紙の裏と表のように切り離すことはできません。一見全く違っているように見える二つのものは、実は一体になっている、というのが仏教の見方です。そういう教えを学ぶところに「てりむくり」の屋根があるのはとても意義深いように思えます。

本堂の壁の塗り替えは、2026年に行われる75周年記念事業のひとつです。塗り替えられた本堂と、てりむくりの屋根をまだご覧になったことのない方は、ぜひお寺に来てください。