お寺に来て、仏・法・僧を感じる
古本竜太
ようやく4月からお寺を再開することができ、メンバーの方々もお寺に集まるようになりました。
コロナウイルス のパンデミックで、私たちのライフスタイルは変わりました。特に、コミュニケーションの取り方が2年前と違ってきました。以前は、「オンライン」より、「インライン」という言葉を使うことが多かったですし、「ハイブリッド 」は車や犬の種類を表す言葉でした。インターネットでの集まりは便利で、メリットもあるのですが、いざお寺に集まってみると、多くの人は、オンラインやバーチャルの集まりよりも、実際に人々に会う方が良いと感じています。
お寺では、六感(眼、耳、鼻、舌、身、意の感覚)をフルに使って仲間とコミュニケーションをとることができます。インターネットでは、見ること、聞くこと、話すことはできますが、実際のお寺や本堂の雰囲気はなかなかつかめません。お寺では、相手に触れて挨拶したり(昔は握手でしたが、今は肘をついたり、拳を突き合わせたりしますね)、お内陣の大きなお仏壇を見たり、他の人の声を聞きながら一緒にお経を唱えたり、お香の香りをかいだり、一緒にご法話を聞いたり念仏をとなえたりします。また法要が終わると、コーヒーやドーナツを味わい、相手の顔や仕草を見て話したりすることができるのです。つまり、お寺では仏さまや人々のエネルギーや気を感じることができるのです。これはネット上の集まりとは違う、とても大切なことなのです。
私の先生はよく「仏法は身体で聞けよ。頭だけで聞くなよ。」と言っていました。
この言葉は、頭や心も含めて全身でお念仏の教えを聞きなさい、という意味です。六つの感覚を通して、深く聴聞をするのです。お寺に集まりはじめて、みなと法要をつとめると、この言葉の意味がわかりました。他の人と一緒に教えを聞き、念仏をとなえると何かを感じます。それは、ブッダ、ダルマ、サンガのエネルギーとでもいうものでしょう。このエネルギーが、教えを深く理解する手助けをしてくれるのです。「仏陀の教えは耳だけでなく、毛穴からも入ってくる」という先哲の言葉も同様のことを伝えています。
親鸞聖人は、主著『教行信証』の中でこう書かれています。
きくといふは、本願をききて疑ふことなきを「聞」といふなり。またきくといふは信心をあらはす御のりなり。
と、阿弥陀さまの本願の救いを疑うことなく聞こえるようになったのが信心だと言われます。お寺に来ると、お念仏の教えを喜んで聞いている人の姿を見ることができます。そういった念仏者から影響を受けると、自分もやがて疑いがなくなっていき、楽しく仏法を聞けるようになります。お念仏のみ教えを深く聞くには、お寺で仏・法・僧のエネルギーを感じ取ることが大切なのです。
けれども、お寺から遠方に住んでおられる方、車の運転をやめた方などのために、オンラインでの法要も続けますので、これからもご自宅から法要に参加してください。でも、お寺に来られるときにはお寺にお参りして、一緒に聴聞しましょう。
南無阿弥陀仏