12月にもちつきをします
古本竜太
まだ11月ですが、お寺の皆がもちつきを楽しみにしているので、おもちのお話しをしましょう。 皆、もちつきの日程、おもちの値段、天気、ヘルプについて尋ねられます。コロナウイルスのため、2年前はもちつきは中止、去年は人数制限をしてもちつきをしましたが、今年は普段通り、12月10日に行います。天気はたぶん晴れますので、ぜひもちつきに来てください。
おもちについて、おもしろいお話を聞いた事があります。なぜ私たちはおもちをお正月にお仏壇に供えるのかのお話ですが、それは日本ではお米が主食であることと、おもちは日本人の美徳とする感謝と忍辱(「にんにく」忍耐のこと)を表す食べ物だからだそうです。
お米はお米の実であるモミを育てて苗にし、春に田植えをします。田んぼに植えられた苗は太陽のひかりの恵みを受けて育ち、夏になると苗は元気な若者のように太陽に届こうと上にむかってどんどん大きくなっていきます。やがて青々とした苗は実をつけて稲と呼ばれるようになりますが、それは若者が大人になっていくようでもあります。青かった稲が秋になると実った稲穂の重みで頭をたれます。それはあたかも育ててくれた太陽、また大地や水に感謝しているようです。「 実るほど頭をたれる稲穂かな」の句のように育ててくれた親、まわりの家族、友人へ感謝ができるようになった精神的に成熟した人間にたとえられます。
感謝ができるようになった稲の人生(米生?)はここでおわりではありません。今から稲はお米になりおもちになっていくのにいろいろな苦に耐えなければならないのです。
まず、稲刈りのときにまさかりで切られ、その稲穂も刃でとられます。その後、冬で寒いのにお米の皮をはがされます。それでおもちになってくれるために、寒い中、まず滝のような水で洗われて、冷たい水のなかにつけられて一晩を過ごし、次の日には反対に熱い火で炊かれたり蒸されたりして、大変な目にあいます。
それで終わりではなく、その後モチマシーンの中に入れられ、乾燥機の中にいるようにぐるぐると回されます。 そしてさらに人の手でちぎられ、こねくり回され、握られて、とうとう最後にまるい美しいおもちになるのです。思えば苦難の連続なのです。
そのような苦労をしてくださっておもちになってくださるから、おもちが仏さまのご安置されるお仏壇に、一年のはじめにお供えされるのにふさわしい食べ物だということです。
ご苦労をしてくださって、私たちの命を支えてくださるおもちは、阿弥陀さまににているともいえるでしょう。阿弥陀さまが法蔵菩薩さまだったとき、仏になる善い行いをすることのできない衆生を助けられようと、願いをおこされました。そしてお米がおもちになるように、いろいろなご修行をしてくださり艱難辛苦を乗り越えて、どのような者でも救うことのできる阿弥陀佛となられたのです。
讃仏偈の最後に、「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」とありますが、それは「衆生のために自分がいかなる苦や毒をうけようとも、いつも忍んで、かならず皆を仏にさせるという願いを成就させる。」という意味です。そのように皆のために苦を乗り越えてくださった仏さまでありますから、私たちが手を合わせ感謝させていただく存在となり、また同じく苦を忍んでくださったおもちが、仏さまのお供えになるのです。
阿弥陀さまのご苦労、おもちのご苦労、またお米を育てた自然の恵みに感謝して、もちつきを楽しみ、おもちをいただくようにしましょう。
南無阿弥陀仏