虎と王子
古本竜太
新年あけましておめでとうございます。2022年も有意義な一年となるよう、お念仏をとなえて日々を送っていきましょう。
2022年は寅年です。仏教には、虎にまつわる有名な話があります。それは飢えた虎に身を捧げるという意味の「捨身飼虎(しゃしんしこ)」というお話です。このお話は、何世紀にもわたって、理想的なダーナ(布施)がどのようなものなのかを教えてきました。
この物語は『ジャータカ物語』に掲載されています。ジャータカ物語とは、仏教の教えを説いた物語や寓話を集めたもので、物語の主人公は、前世のお釈迦さまです。お話には、「かつて釈迦牟尼仏がウサギだった時」とか「釈迦牟尼仏が鹿だった時」というように語られています。昔のインドの人たちは、お釈迦さまがたった6年間の修行を経て、悟りを開かれたことに驚きました。このような奇跡的な出来事を理解するために、人々は、お釈迦さまはこの世に生まれる以前に、何度も生まれ変わり死に変わって、修行を積まれたので、今世で悟りを開くことができた、と考えたのです。そしてお釈迦さまが前世で活躍された様々なお話を編纂したのがジャータカ物語です。
ジャータカ物語の中には、もともとインドの古い寓話に由来するものがあると言われていて、その一部が多文化に伝わり、ギリシャの「イソップ物語」やイスラム世界の「千夜一夜物語」、中国や日本の民話などに影響を与えたと言われています。
お話の多くは、ダーナの精神、自分を忘れて他を助けることを説いています。仏教徒はそのような物語を読むことで、仏の性質や仏教徒の理想的な生き方を学ぶのです。
虎の物語は、「かつてお釈迦さまがある国の王子であったとき」のお話です。王子が森を散歩していると、母虎と七匹の子虎に出くわしました。王子はびっくりしたのですが、よく見ると、虎たちはやせ細って弱っています。いまにも餓死しそうで、動くこともできません。そのことに気づいた慈悲深い王子は、虎たちを救おうとしました。けれども周りには虎たちが食べられるような食料がありませんでした。そこで王子は、「この虎たちを救うために、自分の体を捧げよう」と決心しました。そして餓えた虎たちの近くの崖に登り、崖の上から身を投げたのです。そのおかげで、虎の親子は、王子の体を食べて生き延びることができた、というお話です。
この話を初めて聞くと、「虎のために命を捧げるのか?」と思われる方が多いです。 けれども仏教の教えでは、虎の命も人間の命も平等であり、動物を助けるのも人間を助けるのと同じようにするのが理想的な尊い行いだとしているのです。
そしてこの物語では、虎が王子に「助けてください」と言ったわけでも、虎に自分の身を捧げた王子に虎たちが感謝したとも書かれていません。ここが人々に本当のダーナ、布施とはどういうことかを考えさせるポイントとなっています。
王子は虎から何かを得ようとしていないのです。虎を助けて、何かの報酬を得たり、感謝の言葉を期待することなく、ただ困っている者を救おうとしたのです。これが仏教の理想的なダーナ、布施です。
七世紀の日本の仏教徒はこの物語に感動し、玉虫厨子という仏像などを安置する
お仏壇にこの物語のイラストを描いていて、その厨子は、今は国宝となっています。
この王子のように布施をすることが理想なのですが、私たちの布施は条件付きのことがほとんどで、すべての人を助けることはできませんし、ましてや動物を人間と同じ価値のある命をもっていると尊重し助けることはたいへん難しいことです。
けれどもそれが凡夫であり、愚かで、いまだ悟っていない証拠なのです。浄土真宗では、凡夫は自分の力では悟りを開くことはできない、と理解します。けれどもそのような凡夫を助けようと、阿弥陀仏が私たちに功徳を布施してくださっており、そのおかげで凡夫が念仏をとなえ、浄土に生まれ、涅槃に至ることができるのです。ジャータカのお話でいうと、阿弥陀仏が王子、私たちは虎のようなものです。
このような阿弥陀さまからのダーナを受けた凡夫は、理想的なダーナを実践してみようとつとめるようになってくるようです。親鸞聖人は、阿弥陀さまの功徳をいただいたものは、阿弥陀仏の大悲を伝えるようになり、それを「常行大悲の益」をいただいたことだとみられています。阿弥陀仏の救いや念仏を伝えることのほか、できるだけ他人を助けてあげよう、という思いも起こってくることもあります。凡夫には理想的なダーナを実践することはできませんが、それを反省し、できるだけ人を助けていこうとするのが浄土真宗の凡夫のひとつの楽しみです。
今年の寅年は、「虎と王子」の話を思い出しながら、できるだけ人の役に立てるように、ダーナをしてみましょう。
南無阿弥陀仏