ユニークでイコール

古本龍太

 

今年は、6月26日(土)に初盆法要を行います。昨年に引き続き、ご自宅からインターネットでお参りしてください。初盆のお勤めでは、通常、阿弥陀経を読経します。私が阿弥陀経をとなえるスピードがとても速いと言われる方もおられますが、私は15分くらいでとなえているので、そんなに速いわけではありません。阿弥陀経を何度もとなえていると、経中の言葉やフレーズに慣れてきて、自然と速くとなえられるようになります。日本では、阿弥陀経を暗記して毎日お仏壇で阿弥陀経をとなえている方がおられます。そういう方々は約5分でとなえることができて、そのスピードは速いです。それに比べれば、15分くらいというのはちょうど良いスピードです。けれどもお寺で読経するときに大切なことの一つは、みんなでとなえることです。 ですから、みんながお寺に戻ってきて、本堂で一緒にとなえるときは、みなさんと一緒に阿弥陀経をとなえられるよう、スピードを遅くしましょう。18分くらいの速さではいかがでしょうか?

阿弥陀経は、浄土三部経の中の一つのお経です。阿弥陀経にはお浄土の様子が描写されているほか、無数におられる仏さま方が阿弥陀仏と念仏を讃嘆されていると書かれています。このお経の中の有名なフレーズのひとつに、「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」 というのがあり、お浄土の池には車輪のような大きな蓮の花が咲き、それぞれの花が赤や青などそれぞれの色を持ち、光を放っていると示されています。ここでは、浄土の蓮の花は、私たち一人一人を意味し、すべての人々のユニークさと平等性を表現しています。私たちはそれぞれの特徴を持ち、一人ひとりちがっていますが、阿弥陀仏の目からはすべてが違ったままで、そのままよく平等なのだというメッセージが込められています。

この世には、貧しい人、豊かな人、平均的な人、若い人、年配の人、健康な人、病気の人、などいろいろな方がおられます。また、肌の色、文化的背景などそれぞれちがっていて、私たちの目では、違いで区別し、それが差別になることもありますが、浄土では、違ったままで、すべての人が敬われ、平等だといいます。そして浄土真宗の念仏者は、その阿弥陀仏の智慧の見方を教わり、この世でも、できるだけ他の人々を平等に見ていこうとするのです。

浄土では、すべての人が敬われ、平等だといいます。そして浄土真宗の信者は、その阿弥陀仏の智慧をいただき、お浄土にならって、できるだけ他の人々を平等に見ていこうとするのです。

仏教詩人の金子みすゞ(1903-1930)は、そのような浄土真宗の見方に基づいて、平等とユニークさを詩で表現されました。

「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

すべての人はちがっているが平等である。 それが仏教の見方方です。 この詩では、「私」が鳥や鈴よりも優れている特徴を見つけようとしているように読めますが、他の人より優れていなくても、それは良いことなのです。誰もがユニークであり、それでよいのです。それはをこの詩の最後の部分、「みんなちがって、みんないい。」で表現されているように思えます。

浄土真宗の念仏者は、すべての人々や生き物をユニークで平等に見るようにつとめ、「みんなちがって、みんなよい」としていくのです。阿弥陀経の「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光、、、」のご文をとなえるときには、その意味を味あわせていただきましょう。

南無阿弥陀仏