法然上人、怨みを捨てる

古本龍太

 

五月は親鸞聖人の誕生日をご縁として聞法をする降誕会(ごうたんえ)が営まれます。聖人は1173年5月21日にお生まれになりました。親鸞聖人の師である法然上人も5月に誕生されていたのをご存知でしょうか。法然上人は1133年の5月13日にお生まれになりました。ですから今月は法然上人のお話をしましょう。

浄土宗の開祖として知られる法然上人(1133-1212)は、比叡山で仏道を究めようと修業と勉学に励まれ、「智慧第一の法然房」と呼ばれるほど多くの僧侶から尊敬されていました。法然上人の教えの特徴は、専修念仏といい、ただ南無阿弥陀仏だけをとなえる、というものです。一説によると、上人は仏教の教えを理解するために、すべての経典と注釈書を5回読んだと言われています。それで出された結論は、悟りを開き仏となるために最もよい方法は、念仏をとなえること、というものでした。上人が着目されたことの一つは「平等」です。念仏をとなえれば、能力や年齢や性別などの違いに関わりなく、誰でも浄土に生まれられる、ということを強調されました。

それを多くの人々に伝えるため、28年間修行した比叡山を降りて、京都に念仏道場ともいうべき、草庵を開いたのです。この草庵には、階級や職業、性別を問わず、多くの人々が集い、念仏の教えを聞き、念仏をとなえたといいます。

親鸞聖人もその草庵で念仏をとなえた一人で、法然上人を深く尊敬していました。高僧和讃で、

源空三五のよはいにて 無常のことわりさとりつつ 厭離(えんり)の素懐をあらはして 菩提のみちにぞいらしめし

と、法然上人が僧侶になられた理由を書いておられます。源空とは、法然上人の法名です。三五とは三かける五で十五のことです。法然上人は15歳の時に、この世の変化する性質、「無常」を深く理解され、その無常のために苦しみや悩みが出てくるこの世を厭い、菩提という、完全な心の静寂と平静を得る道を説く仏教を学び始めた、というのがこのご和讃の意味です。

法然上人が経験した無常のひとつに、父の死があります。法然上人が9歳のとき、父親が敵に殺されたのです。この経験から、法然上人は僧侶になることを決意したと言われています。

法然上人の父は武士であり、現在の岡山県の美作で警察署長のような役職に就いていましたが、ある日、敵に襲われ死んでしまったのです。その父が臨終の際に法然上人に言った言葉が「報復せず、仏道を歩め」だったそうです。当時の武士階級では、父や母が殺された場合、息子は親を殺した者を殺して復讐することが許されていましたが、かつて仏教の教えを聞いたことがあった上人の父は、

「怨みは怨みによっては、決してやむことがない。怨みを捨ててこそやむ、これは永遠の真理(法)である。」というお釈迦様の言葉を上人に伝えたといわれています。

もし法然上人が敵を殺せば、その敵の息子が法然上人に報復し、それは決して終わることがありません。それで上人の父は、上人が僧侶になり仏道を歩まれるように願われたのです。父の死後、法然上人はお寺に住み、後に比叡山の僧侶となられました。

この法然上人の父が覚えていた『ダンマパダ(法句経)』の句は、仏教徒が怒りや憎しみに対してどのように対処するかを教えてくれています。受けた暴力や暴言に対して、報復をしない、ということは時に難しいかもしれません。けれども、仏教徒としてできるだけ、うらみを捨てるようにできたらよいと思います。

 

南無阿弥陀仏

この世において、いかなるときも、

多くの怨みは怨みによっては、

決してやむことがない。

怨みを捨ててこそやむ、

これは永遠の真理(法)である。