功徳をシェア

古本龍太

 

1月末にジュニアYBAのセミナーがありました。ジュニアYBAは年に数回セミナーをしていて、各お寺が順番で主催し、テーマやワークショップなどを企画します。今回は洗心とベニスとウエストLAのジュニアYBAが共催して行いました。

コロナウイルスのパンデミックの影響で、セミナーはズームを使用して行いましたが、コンピューターテクノロジーに慣れている高校生たちは楽しみながら滞りなくセミナーを運営していて感心しました。

セミナーのテーマはVirtue-al Realityでした。バーチャルというのは、実質的という意味で、インターネットでの、学校のクラスや、お寺でのセミナーや法要は、実際には現地で行なってはいませんが、実質的には皆が集まって、学んだり、聴聞したり話し合ったりしていることに関連したものでした。そして高校生たちが、英語のバーチャルと、仏教でいう功徳(くどく)の英訳、バーチューを組み合わせた単語を造ったことにも感心しました。

今はインターネットで仏法をシェアし、そして仏教では功徳をシェアすることが強調されているので、なかなか良いテーマだと思いました。

功徳とは、すぐれた特性、良い行いの結果得られる徳や力で、功徳によって浄土に生まれることができたり、涅槃に至ることができ、功徳は仏道修行や仏教での良い行い、または私たちの浄土真宗の教えのように、阿弥陀仏の回向によって得られるとされています。

日本や台湾ベトナムなど、アジアの仏教が盛んな国々では、お経を唱えることで功徳をえるという考えが浸透していて、僧侶だけでなく信者の方々もお寺や自宅の仏壇などで読経しています。お経には仏の教えが書かれてあり、仏の教えは人生の問題を乗り越える力を与えてくれるので、お経にはパワーがあり、お経を唱えることで功徳が得られる、とするのです。

読むのに何日もかかるお経になると、お経を読まずに、お経のページをめくるだけでお経を読んだことにする、という儀式化されたものもありますし、チベットなどではお経を入れた円筒の入れ物を回転させて、一回転したら、一回お経を読んだ功徳を得られる、とするものもあります。現代の若者の中には、お経をコンピューターでワード文書にコピーアンドペーストして保存すると、ハードディスクという文書が保存されているところが回転するので、それで功徳が得られるとする人もいます。

浄土真宗では、私たちがお経を唱えるとき、最後の方で「願以此功徳、平等施一切、同発菩提心、往生安楽国」と唱えますが、それを回向句といいます。それは、お経を読んで得られた功徳を他の人に回し向ける、あげる、という意味の句で、宗派によって文が違っていますが、功徳を回向するという点は同じです。この回向句は、中国の善導大師が書かれたもので、普通は、お経を読んだ自分が功徳を回向する、という意味になるのですが、浄土真宗では、阿弥陀さまが回向してくださる、という意味になります。親鸞聖人は、私たちにはお浄土に生まれ、仏になれるような功徳は到底得られないので、阿弥陀さまがそういう力の及ばない凡夫をこそ救いたい、という願いを起こされ修行され、修行が完成されて得られた功徳を回向してくださっているのだ、と説かれています。ですから、回向句は「私たちは皆平等に阿弥陀さまから功徳をいただいているので、間違いなく往生できますよ」と、阿弥陀さまの功徳を皆でシェアしていることをありがたく思って、読経を終える、というようになっているのです。

まだお寺には集うことができませんが、インターネットで法要にお参りされた時は、このことを思い出されて、一緒に読経しましょう。

南無阿弥陀仏。