地獄ですごす1兆年
古本竜太
お寺のメンバーの方が仏画を寄付してくださいました。四天王と呼ばれる仏教の守護神を描いた大きな絵です。額の大きさは46インチ×82インチで、私の身長よりも高いです。この絵は今、寺務所に展示されていて、とても大きくてカラフルなので、どこにあるかひと目でわかります。
この絵は20年ほど前にブータンの田舎で描かれました。ブータンは、何世紀にもわたって、前近代的な生活や価値観を維持するよう務めていたようです。ある記事によると、国の方針で1999年まで国内にテレビを入れていなかったそうです。20年ほど前、21世紀初頭のブータンの田舎でこの絵を描いた仏画師は、私たちには見えないものを見る深い洞察力や感覚を持っていたのではないかと想像しています。それでこの四天王の絵を見ると、何か霊性的なパワーがあるようにも思えてきます。
この絵は「タンカ」と呼ばれるもので、チベット仏教の仏具の一つです。チベット仏教では、タンカを瞑想、祈り、儀式などで使用するようです。チベット仏教を研究している小谷真由美さんが、このタンカの説明を書いてくれましたので、タンカと四天王については、真由美さんの記事を参考にしてください。(英語欄にあります。)
チベット仏教では様々な仏、菩薩、神々を礼拝しますが、浄土真宗では阿弥陀如来または南無阿弥陀仏のみを礼拝の対象としていて、四天王や他の仏像や菩薩像を本堂に安置したり礼拝の対象とすることはありません。ですからお寺で四天王の話を聞くことはあまりないです。
けれども、浄土真宗の七高僧の一人である源信和尚(942-1017)は、四天王について少しふれています。源信和尚は平安時代の天台宗の僧侶で、『往生要集』を著しました。
源信和尚は、多くのお経の中から、地獄に関する説明や描写を集めました。『往生要集』では八種類の地獄を紹介し、それぞれの地獄でどのような苦しみを受けるのかなどを説明しています。地獄の種類の一つに等活地獄というのがあります。そこでは、人々は鬼に鉄棒などで打たれたり、切られたりして死ぬのですが、死んだ後、心地よい風が吹いて、また生き返るとあります。それで等しく復活するということで、等活地獄というそうです。
けれども、生き返ってもまた、打たれて、切られて、死ぬのです。そんな生活が、地獄での寿命が終わるまで繰り返されます。地獄での命はどのくらい続くのでしょうか?源信和尚はここで四天王のことに少しふれます、天界にあたる四天王の一日は人間の五十年と同じ長さだと言います。そして、地獄の一日は四天王の五百年と同じ長さで、地獄に行けば、地獄の時間で五百年間も苦しまないといけないのですが、ある人の計算では、人間の1日の長さの約1兆6千億年になるそうです。
そしてその地獄には、殺生した者が落ちると言っています。そうなりますと、おそらく、ほとんどの人が地獄に行くことになると思います。私たちは食べるために毎日のように生き物を殺しています。直接的、間接的に、家畜、魚、野菜、果物、昆虫などを殺しています。生きるためには他の命を奪わなければならないのです。ある意味では、私たちの人生は自己中心的にプログラムされているといえるでしょう。それで、ほとんどの人は地獄に行かなければならないのです。
けれども、浄土真宗では、阿弥陀さまは、そういった地獄に行く人をこそ救う、と説きます。そして、それを「地獄に行くと思う人が浄土に生まれる」と表現します。阿弥陀仏の、自分の努力ではとうてい浄土に生まれられない者を救うとの願いとその願力のおかげで、自己中心で地獄行きの私たちが浄土に生まれることができるのです。
そういった仏の願いと力をいただく浄土真宗の仏教徒は、かえって自己中心的な考えを反省し、できるだけエゴを拡散しないようにしようと務めます。自分の命を支えてくれている他の命に感謝し、食べ物を無駄にしないようにして、なるべく他の生き物を殺さないようにとの思いが育まれるのです。
お寺に来られた際には、寺務所のタンカを見てください。そして、地獄の時間のことも思い出し、地獄行きの私をお浄土に生まれさせてくださる阿弥陀さまに感謝し、お念仏しましょう。
南無阿弥陀仏