笑い門
新年あけましておめでとうございます。
新しい年が皆様にとって楽しく、有意義な一年になるとよいですね。日本では、「笑う門には福来る」ということわざをお正月によく聞きますが、医学的な研究によると、笑いや笑顔が私たちに幸福をもたらすというのは本当だそうです。ある記事によると、笑いは心臓、肺、筋肉へより多くの酸素を届け、ハッピーホルモンと言われる脳から放出されるエンドルフィンを増やし、身体の痛みを軽減する、とあります。 また、別の記事では、笑顔は健康を増進し、ストレスを軽減し、表情をより魅力的にしてくれると書かれています。
まさに笑う門には福がやって来やすくなるのでしょう。それで、新年が良い年になるよう、「笑門」と紙に書いて、家の玄関や門に貼っておられるところもあります。
何年か前に、マス先生が「洗心寺の門に名前をつけよう」と言われたことがありました。洗心寺の門は、お寺の40周年記念の事業として約30年前に建てられたものです。アメリカでは門を持つお寺はあまりなく、特に日本瓦の屋根の門はめずらしいです。ですから、浅草の雷門、沖縄の守礼門などのように何かユニークな名前をつけよう、ということでした。
それで、私は、とてもユニークで深い意味の名前の門がある(あった)ことを思い出しました。それは「大馬鹿門」という名前で、数十年前、京都の佛教大学に建てられていました。佛教大学は、浄土宗が設立した大学です。
浄土宗は、私たちの宗祖・親鸞聖人の師である法然上人によって開かれました。法然上人の教えは、善人も悪人も、若者も老人も、金持ちも貧乏人も、頭のいい人も鈍い人も、僧侶も信徒も、男性も女性も、念仏をとなえるだけで、阿弥陀仏によって全ての人が平等に救われる、というものです。そして、法然上人が念仏者に説いた助言の一つが、「浄土宗の人は愚者になりて往生す(親鸞聖人御消息)」で、自分の愚かさを自覚することでお浄土に生まれることができるのだと言われます。仏教でいう愚かとは自己中心的なことです。小さな自己に執着し、その執着からでてくる煩悩をフルに持っている人を愚者、または凡夫と言います。自分の愚かさを知ると、阿弥陀さまにおまかせし、念仏をとなえられるようになるので、「愚者になりて往生する」ことを法然上人がよく言われていた、と親鸞聖人がお書きになっています。
また、仏教では、私たちは無知だ、ということを知ることを勧めています。仏法を学べば学ぶほど、私たちは知らないことが多く、愚かである、と知るのです。この知によって、念仏の教えがすっと心に入ってくるようになります。
学生さんの場合ですと、自分の知識が少ないと思えば、学び続けることができます。「私は何でも知っている、私は賢い」と思ってしまうと、学ぶことをやめてしまうのです。
ですから、佛教大学の「大馬鹿門」は、とてもユニークで意義深い名前の門です。けれども、大学の学生、教授、職員さんたち全員が念仏者ではないので、あまり「大馬鹿門」という名前が好きでなかったようです。それで結局、大学の門の名前にふさわしくないということで、撤去されたそうです。
洗心寺の門には「大馬鹿門」はいい名前だと思いましたが、もうすでに使われている名前なので、何か別にいい名前がないかな、と思っていたところ、最近、邪鬼が笑った顔の彫り物がお寺に来ました。それを見て、洗心の門には、「笑い門」という名前がいいのではないかと思いました。それは「笑う門に福が来る」という意味と、煩悩にまみれた愚か者が、邪鬼に笑われている、「笑い者」という意味を持ちます。(来月に続く)