9月2021年

仏法を中心とした生活、 村田和上と駅長さん

古本竜太

 

「仏法には世間のひまをかきてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきやうに思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ。」

蓮如上人御一代記聞書という、第八代ご門主の蓮如上人(1415-1499)の言行録にあるお言葉です。

「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。世間の用事を終え、ひまな時間をつくって仏法を聞こうと思うのは、とんでもないことである。仏法においては明日ということがあってはならない」

と、仏法を聞くコツを教えてくださっています。仏法を中心とした生活をすることが大切なことだと言われるのですが、この蓮如上人のお言葉を実践された念仏者の方がおられます。

約100年前に現在の三重県の一身田という町におられた村田静照和上という僧侶が、「仏法を聞いてみたい」と言われた方に説かれたお話です。

村田和上のお寺ではいつもいろいろなところから人々が集まって聴聞されており、皆が大きな声で念仏をとなえておられたそうです。

その村田和上の町の駅長さんが、自分も聴聞してみたいと思い、村田和上をたずねました。「私はこの町の駅の駅長をしています。駅では汽車を乗り降りする人の中に、なもあみだぶつ、なもあみだぶつ、と大声で念仏をされている方をよく見かけます。それを見て笑う人もいますが、みんな平気な顔で念仏をとなえられているのです。私も、そのような気持ちになってみたい、無我の気持ちになってみたい、と思ったのです。それで、念仏をとなえている人に聞いてみたら、皆、村田和上のところに行くように勧められるのです。どうぞ仏法を聞かせてください。」

そのような駅長さんに、村田和上が言われたのは、「それなら、駅長をやめてから聞きにきなさい」でした。駅長さんは「いえ、それは困ります。家族がいますので、妻と子供を養わないといけません」と。

村田和上は、「それなら来なくていい。もう帰りなさい。仏法はそんな安っぽいものではないのじゃ。」と言われて、目を閉じて、なもあみだぶつ、なもあみだぶつ、ととなえられ、駅長さんは何も言えず、お寺をあとにしました。

それから十日ほどして、駅長さんがお寺に来られたのです。そして、村田和上に、「もう駅長をやめる決心がつきました。どうぞ、仏法を聞かせてください。」と言われました。

村田和上は、「そうか、それは結構。駅長さん、それでは今晩からここへ来なさい。それで夕方6時頃までは駅でここに来るまでの時間を待っておく、というつもりで駅長を続けなさい。仏法を生活の中心にした気持ちを持ちなさい。」それから駅長さんは聴聞をはじめられ、熱心な念仏者になられたそうです。

このお話は、真剣に聴聞するよう心がけなさい、と蓮如上人のお言葉を実践された一つの例です。仕事や学校をやめる必要はないけれども、世間の用事を終わって、暇なときに仏法を聞こう、という態度ではなかなか教えが身につかないので、仏法を中心とした生活をする思いを持って、聴聞するようにしなさい、と、教えてくださっています。

南無阿弥陀仏