ハチ公と一心
「人間のことを知れば知るほど、犬が好きになる。」という名言があります。これはマーク・トウェインの言葉だと言われることもあれば、フランスの政治家の言葉だとも言われることもあって、誰の言葉かは、はっきりとはわからないのですが、犬を飼っている人なら、うなずける言葉だと思います。犬は人間のように裏表がないので、それがいいのだと思います。
皆さんは忠犬ハチ公のことを聞いたことがあるでしょう。ハチ公の物語を聞くと、多くの人がその忠誠心に感動し、ますます犬が好きになります。
ハチ公は今から約100年前に生きた秋田犬で、1935年3月8日に亡くなりました。ハチ公の物語は1980年代に日本で映画化されました。その後、2009年にはハリウッドでリチャード・ギア主演の『HACHI 約束の犬』としてリメイクされました。
ハチ公は、飼い主が亡くなったことを知らずに、約10年間も駅で帰りを待ち続けました。その忠誠心を讃えて、渋谷駅前に銅像が建てられています。
1924年、ハチ公が1歳のとき、東京大学の上野英三郎教授に飼われることになりました。上野教授は渋谷に住んでおり、毎日電車で大学へ通っていました。ハチ公は、毎朝教授と一緒に渋谷駅まで歩き、見送りました。そして夕方になると、駅で教授の帰りを待つのが日課でした。
しかし、一年半ほど経ったある日、上野教授は大学で突然、脳出血で亡くなってしまいました。ハチ公は飼い主の死がわかりません。ですから、それまでと変わらず、毎朝9時に駅へ行き、夕方4時になると帰りを待ちました。そして夜6時ごろになると、仕方なく帰るのです。この日課を約10年間続け、1935年3月8日、渋谷駅で息を引き取りました。その忠誠心に心を打たれた人々によって、ハチ公が亡くなる1年前に、ハチ公を讃える銅像が建立されました。銅像の除幕式には、ハチ公自身も出席したそうです。
上野教授の死後、ハチ公は教授の妻の親族に引き取られましたが、飼い主を忘れることができず、何度も家を抜け出しました。結局、渋谷に住む人が面倒を見てくれることになり、ハチ公は駅に通い続けることができました。駅に行く途中、教授の家に立ち寄り、帰ってきていないか確かめていたと言います。
ハチ公は、ただひたすらに上野教授を想い続けました。新しい飼い主を受け入れることもなく、最後まで忠実でした。世の中にはハチ公のように忠実な犬が多いので、私たちが犬を好きになるのだと思います。
一方で、人間の関係はとても複雑で、時には脆いものです。アメリカでは、約50%の夫婦が離婚すると言われています。そして、さらに多くの人が離婚を考えたことがあるとも言われます。たった一人の人に対して、最後まで変わらぬ忠誠を持ち続けることは、簡単ではありません。
浄土真宗においては、「一心(いっしん)」すなわち、阿弥陀仏だけに一筋におまかせする心が、とても大切にされます。これは「信心(しんじん)」とも呼ばれます。
親鸞聖人は和讃で、
信心すなはち一心なり
一心はすなはち金剛心
金剛心は菩提心
この心すなはち他力なり
とお示しくださっています。「一心」とはまるでダイヤモンドのように強く、決して砕けないもので、それを金剛心と言います。それは仏の心で、それを阿弥陀さまからいただく、という意味です。
私たち人間の心は、状況によって常に変わります。喜び、悲しみ、怒り、不安、その時々で心の向きは変わります。また、「あれがいいんじゃないか、これがいいんじゃないか。」といろいろなバックアップの心を持とうとします。それは一心ではありません。けれども、阿弥陀さまの大慈悲の力によって、私たちの心が自ずと阿弥陀仏へと向けられていくようになっています。それが一心です。
親鸞聖人は、私たちが「一心」を持つことができるのは、自分の努力によるものではなく、阿弥陀仏のはたらきによるものだと言われます。人の心は揺れ動きますが、阿弥陀仏の心が私たちの心にはたらき、それによって私たちは阿弥陀仏を仰ぎ、「南無阿弥陀仏」と称えるようになるのです。これは、私たち自身がやろうと思ってできることではなくて、阿弥陀さまの慈悲の力によって起こることなのです。これを「他力」といいます。
ハチ公が駅に通い続けたのは、上野教授との深い絆があったからこそでしょう。教授が優しく、愛情深い飼い主だったからこそ、ハチ公は最後まで忠誠を貫いたのと言えます。同じように、私たちが「南無阿弥陀仏」と称え、阿弥陀さまを思うことができるのは、私たちが阿弥陀さまの慈悲のはたらきを受けているからだ、ということです。お念仏をとなえて生きていきましょう。
南無阿弥陀仏
