降誕会、ウソの世界に生まれる
今年は五月十九日に降誕会のおつとめをします。降誕会は親鸞聖人の誕生をお祝いすることをご縁として親鸞聖人の教えを聞かせていただく法要です。降誕会の「降誕」という語は少し聞きなれない言葉ですが、降りて誕生されたという意味で、位が上の人が下界の我々に教えを伝えにきて下さるという意味があります。
そして降誕会の「誕」には面白い意味があります。誕生というのは目出度いことだから、いい意味かと思ったら、意外にもそんなにいい意味ではありません。その意味は、「いつわり、おおぼら、おおげさなうそ」です。昔の人はこの世への誕生を、うそ、いつわりの世界に生まれてくることだととらえたのでしょう
親鸞聖人もこの世はウソいつわりの世界だと言われています。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします(歎異抄)」と、この世がまことではない、うその世界だといわれるのですが、なぜかといえば、この世には常にかわらないものというものがないからです。この世のものごとはなんでも変わっていきます。住んでいる世の中、自分、家族、友人をはじめ、考え方、価値観、道徳の基準、など常に同じというものはありません。私が2001年にアメリカに来た時は、ガソリンが1ガロン99セントでした。だけど今は5倍以上の値段です。また、ジブリのアニメ映画よりも黒沢ムービーの方がよく知られていました。何十年か前に受け入れられていたことが現在では好ましくないこととなっていることもありますし、その逆もあります。またもう何十年かすると、ガソリンの値段が99セントにもどることはないでしょうが、今より高くはなるでしょうし、今人気のある映画があまり見られなくなったり、人々の価値観がかわったりすることでしょう。
真実とはどこにいてもどの時代でも変わらないものでなければなりませんが、自分の心やまわりの環境など、この世には変化しないものはありません。だからこの世にはまことがないと親鸞聖人はいわれるのです。自分の信じていた家族や友人などがあることを機会に敵になったり、憎しみあうようになったりするような世の中です。お金や株が一夜にして価値を失うこともあります。考えてみると私たちはかなりあやふやな世の中に住んでいます。
けれども親鸞聖人はこのまことなき世の中ではあるが、「ただ念仏のみぞまことにておはします。」といわれます。浄土真宗の教えを信奉する私たちは、すべてが変化してしまうような、うその世界に生まれたけど、念仏というよりどころがある、として物事や世界を見ていきます。
念仏以外のことはあてにならず、頼れないんだという見方をもって生活しますと、どんなことがおこっても「まあ、いいか」と受けいれられるようになります。念仏を生活の中心にすえると、この世のことはそらごとたわごとだから、何が起こってもしょうがない、というように思える目が養われ、楽に生きていけるようになります
南無阿弥陀仏
古本竜太