​​大掃除

今回は11月号と12月号の合併号で、12月はプラジュナは届きませんから、12月もこの号をとっておいてください。それでまだ11月ですがお寺の12月のイベント、大掃除について書いてみたいと思います。

12月16日(土)は餅つきがあり、翌日の17日は大掃除をします。お寺の清掃は、仏教の理解を深めるために役立ちます。

自分の外側は自分の内側と密接に関係していて、私たちの身の回りの環境は私たちの心の状態を反映し、身の回りの環境が私たちの心に影響を与えると考えます。それで、仏教の宗派によっては掃除を大切な修行として、僧侶や信徒がお寺の境内を念入りに掃いたり、廊下を磨いたりするところもあります。境内のゴミを拾うことは心のゴミを拾うということでもあり、そのようにして心をきれいに清めていけば、仏の悟りに近づくことができるとされています。

浄土真宗では掃除は修行ではありませんが、自分の煩悩を見つめ、阿弥陀如来や親鸞聖人、そしてお寺の方々への感謝するご縁だとして掃除をするという考え方があります。

私たちの心はいくらきれいにしようとしても、完全にきれいにすることはできません。掃除をすればするほど、心のホコリが出てくるのです。心のホコリは煩悩です。煩悩とは自分に執着することから出て来る欲望で、煩悩だらけの人を凡夫といいます。

親鸞聖人は『一念多念文意』の中で

『「凡夫」 というのは、 わたしどもの身には無明は煩悩が満ちみちており、 欲望も多く、 怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、 まさに命が終ろうとするそのときまで、 止まることもなく、 消えることもなく、 絶えることもないと、水火二河の譬えに示されている通りである。 (現代語訳)』

と言われます。そして大切なことはその凡夫とは誰か?ということですが、同じ『一念多念文意』で、『「凡夫」 とは、 すなわちわたしどものことである。 』と「他人のことではないよ」と注意喚起され、そういう凡夫が本願のはたらきを信じることを根本とすれば、「必ず浄土に往生することができ、阿弥陀如来と同じく、 この上ないさとりを開かせていただくのだ」と、お示しくださっています。 

阿弥陀如来は、私たちが煩悩にまみれている存在であるからこそ本願を建ててくださり、そのおかげで私たちがお浄土に生まれ、涅槃に至ることができるのです。そういった阿弥陀さまの本願をいただくと、自己中心的な思いを持つことを反省することができるようになり、阿弥陀さまや親鸞聖人、そしてお念仏の教えをシェアしてくださるお寺の方々に感謝することができるようにもなります。そして、感謝の気持ちから、念仏の教えを聞くことのできるお寺をきれいにしたい、と思うようになってくるのです。まだ教えをあまり理解してなくても、お寺の掃除をしていると、教えがだんだんわかってくるようにもなっているので、掃除は浄土真宗の大切な行いだとされているのです。

大掃除では、自分の煩悩を見つめ、仏様や皆への感謝の気持ちを持ってお寺をきれいにしていきましょう。

南無阿弥陀仏